それは私には大変な勇気のいる行為だった。だが、アヤを探すためだと思えば耐えられるだろう…。いつもとは違う、口元以外を覆い隠してしまう仮面を付け、アラビア風の衣装を身に纏う。この間聞いたアヤの話から推理すると、アヤがその男と出合ったのはサン・ミッシェル広場だろう。なら、そこで私がアヤを待ち受けるのが一番の近道のはずだ。広場に長時間居ても怪しまれず、尚且つアヤを探しやすい状況…。私が考え付く方法はそれしかなかった。
昼時の少し前、私はサン・ミッシェル広場に居た。黒地に金糸の縫い取りの仮面を付け、やはり黒を基調にした衣装を纏った私は、誰がどう見ても大道芸人の一人であったに違いない。大道芸人など広場に長時間立っていても珍しくもない。大して難しくも無い手品をしながら、広場を通る人物に気を配る。仮面で人々から私の表情は見えないし、どうせ手品の種明かしに夢中で私の視線に気付くものも居なかった。
「人形が独りでに踊るなんて!」
買い物に来たらしい中年のご婦人から感嘆の声が上がる。何のことは無い。黒い極細の糸を私の衣装に紛れさせ、さも独りでに人形が踊っているように操っているだけだ。
「…ご婦人に挨拶は?」
そう言いながら、人形に礼をさせる。私の目を盗んで人形に触れようとした子供が居たが、私の視線に気付き、慌てて手を引っ込めた。
その後も人形をひとしきり躍らせてやり、観客に飽きが見え始めた頃に品を変える。切ったトランプの一番上のカードをわざとらしく見せてやり、一度戻す。そしてまためくってやると違う絵柄になっている。戻す前の一瞬で私の手の中でカードを摩り替えている事に気付く者は居なかったようだ。またカードを切り、途中からさも偶然引き当てたように最初のカードを見せてやる。
こんな簡単な手品で賞賛を浴びるのなら安いものだ。いつぞや私がペルシャでやった踊る骸骨を見せてやったらこの観客達はどんな反応を見せるのだろう。それとも腹話術で何かを歌わせてみようか…。そこらの手品師に出来ないような芸当も、私にとっては序の口に過ぎない。だが、私が手品で本当に喜ばせてやりたいのはこんな民衆ではなく、アヤだけなのだ…。毎日違う手品を見せ、アヤを笑わせてやりたい。だが、私はいつもアヤを泣かせている気がする。私の記憶の中の最後のアヤは、私に怯えた泣き顔だった。本当に、私はアヤを喜ばせてやりたいと思っているのに…。
結局夕方遅くまでそこに居たものの、アヤの後姿どころか踊るような軽い足音すら探す事ができなかった。一日何の手掛かりも得られなかったことに疲労を覚えながら、私は地下の牢獄へと戻った。本当にアヤは見つかるのだろうか? それとももう、日本へと帰ってしまったのだろうか? …いや、後ろ向きに考えるのはよそう。雲を掴むような話ではあるが、アヤを見つけるにはこれが一番確実なのだから。
金銭の類を持っていかなかったアヤが頼るのは、考えたくは無いがあの男だろう。サン・ミッシェル広場で出会ったというのなら、あの男はこの近辺に居を構えているに違いない。例えアヤが見つからなくても、その男らしい東洋人でも見つけることができれば、アヤへの手掛かりになる。もし男の許へ居ないのなら、アヤがもうフランスには居ないという答えが出る…。なんにせよ、アヤかその男を見つけなければ話にならないのだ。手掛かりを掴むまで、私は何日でもあの広場に立ってみせよう…。離してしまった手を、もう一度掴む事ができるように。
アヤに逢いたい。日増しに強くなるその思いにとは裏腹に、先の見えない現状。懐かしいアヤのぬくもりを思い出すように、私は目を閉じて溜息を吐いた。