今日はクリスマス・イブである。地下の館もこの日ばかりはいつもと違っていた。女性がいるだけでこれほどまでに華やぐのか、とファントムは思っていた。クリスマスらしい飾り付けがされているわけではないが、やはりどこか雰囲気が違う。
「今日がもうイブなんだね。やっぱり楽しみで寝付けなかった」
 クロワッサンを片手にアヤが言った。道理で今朝は一段と寝起きが悪かったのか、とファントムは内心苦笑した。
「今日も準備がいろいろとある。朝食を食べたら料理を作ってしまわないと」
「食べたばっかりなのに料理をするのはちょっと胸焼けがしそう…」
「いや、そちらのほうがよい。誰かがつまみ食いをしなくなくなるからな」
「つまみ食いなんてしてないじゃない!」
「おや、私は誰とは言ってないが?」
 クスクスと笑うファントムに、アヤはむくれた。あなたとわたししかいないじゃない、とブツブツ言っている。
「さあ、今日も忙しいが夜からは楽しもうじゃないか。早く食べてしまいなさい」
 あまりにアヤが起きてこないので、ファントムは先に朝食を済ませてしまっていた。
 朝食を済ませると、オーブンを暖める。子羊に七面鳥。今日はオーブンが大活躍だった。昼食を有り合わせで済ませても、まだ料理は終わらなかった。ファントムはテリーヌを切っているし、アヤはラズベリーでソースを作っている。
 ようやくすべての料理がテーブルに並んだのは、もう夕食時だった。たれに浸けた子羊のオーブン焼きに七面鳥の丸焼き、テリーヌにフォアグラにエスカルゴ(アヤは最後まで反対していた)ect…。


 せっかくのクリスマスなんだから、とアヤが着替えに行く。最近やっとコルセットを一人でも締められるようになったようだ。ファントムは残念なような、ほっとしたような気持ちだった。
 アヤが戻ってきた。今日はこの間の黒のベルベットのドレスだった。これが一番のお気に入りなの、とアヤは言った。
 二人は席に着き、シャンパンを開けると乾杯した。グラス同士がぶつかり合う澄んだ音が響く。ファントムは子羊の肉を切り分けるとアヤに渡した。
「んー、美味しい! ファントムってやっぱり何でもできるんだね!」
 アヤは大絶賛だった。確かにファントムの料理は味付けも火加減も申し分ない。
「ありがとう、マドモワゼル。次はこちらをいかがかね?」
 エスカルゴだった。アヤは言葉に詰まる。
「何でも食べずに決め付けるのはよくない。何かを言うなら食べてからにしなさい」
 ファントムもタコ食べないくせに、とアヤが呟いたが、ファントムは聞かなかったことにした。アヤが意を決したようにエスカルゴを口に運ぶ。眉をしかめ何度も手が皿へ戻ろうとする。そして、ついにエスカルゴはアヤの口へと入っていった。
「…柔らかくてバター味…」
「それはそうだ。エスカルゴ自体にほとんど味はないからね」
「何故これを食べたがるのかがよく理解できない…。普通の貝でいいのに…」
「見た目はグロテスクだが食感とソースしだいで変わる味がいいのだよ」
「タコのほうが愛嬌があるよ…。わたしは一個で十分だから」
「このエスカルゴはブルゴーニュ種だな。もう一つプティ・グリという種もあるが私はブルゴーニュのほうが好きだ。エスカルゴはローマ時代から食べられているのだよ」
「最初に食べた人はよっぽど飢えてたとしか思えない…」
 アヤが顔をしかめたので、ファントムはこれ以上無理強いはしなかった。
 食事が終わるとケーキタイムだった。アヤがケーキを切り分け、ファントムに渡した。
「お味はいかが?」
「甘さは控えめだがブランデーが効き過ぎているな。だが悪くない」
「あんまりおいしいって言われた気がしない…」
 アヤは溜息をついた。
「まずいとは言っていない。…もう一切れいただけるかな」
 ファントムが皿を差し出すと、アヤはとたんに笑顔になった。
――本当はもう少し甘くないほうが嬉しいのだが…。
 そんなことアヤに言える訳がない。ファントムはちょっと無理をして二切れ目を平らげた。


「そうだ、ちょっとリビングで待っていてくれないか。少し部屋に戻らなければ」
 ついにアレを渡すときがきた。今渡さなければ機会はない。ファントムはすぐに自室へ戻ると、皮袋を引き出しから取り出した。
――どう言って渡せばいいだろうか…。
 ファントムの胸が高鳴る。深呼吸をしながらゆっくりと廊下を歩き、リビングへと戻った。
 リビングではアヤがソファに腰かけて待っていた。ファントムは冷静を装って隣に座ると、アヤに皮袋を差し出した。
「私からのプレゼントだ。受け取ってもらいたい」
「…開けていい?」
 アヤが皮袋を受け取る。ファントムはもちろん、と頷いた。
「! ちょっと! こんなの受け取れない!」
 アヤが驚いた声を上げる。入っていたのはすばらしい細工物の、赤い宝石のついた腕輪だった。
「何故だ? たいした物ではない。受け取って欲しい」
「だって…? これどう見ても本物の宝石でしょ!? それにこれだって…銀じゃない! 受け取れないよこんな高価なもの!」
「心配ない。私の手作りだからタダだ」
 確かに宝石も買ったものではないし元手はかかっていない。
「でも…っ」
「私はお前に受け取って欲しくてこれを作ったのに、お前は受け取ってくれないのかね?」
 アヤが言葉に詰まる。
「つけてみてくれないか」
 アヤは渋々といった様子で腕輪を填めた。
「ああ、思っていたとおりだ。よく似合っている」
 アヤの細い手首にぴったりと填まる腕輪を見て、ファントムは満足げに微笑んだ。
「…嬉しくなかったかね?」
「嬉しいけど…いつももらってばっかり…」
 アヤが複雑そうな顔をする。ファントムは笑った。
「私が好きでしていることだ。気にすることはない。喜んでもらえたなら幸いだ。さて、もう夜も遅い。パーティはお開きにするとしよう」
「あ、待って! …わたしも渡したいものがあるの」
「…何だって?」
 今度はファントムが言葉を詰まらせる番だった。
「これなんだけど…」
 アヤが差し出したのは小さな包装紙に包まれた箱だった。もちろんプレゼント用のラッピングだ。
「これの後だとやっぱり恥ずかしいな…」
「開けてもいいかね?」
 アヤは恥ずかしそうに頷いた。
 ファントムは逸る気持ちを押さえてリボンを解き、包装紙を開ける。そこから出てきたのはカフスボタンだった。黒地に金と青が散っている美しいデザインだった。
「これは…一体どこで…」
「この間一人で出かけたときに買ったの」
「…お前に金を渡した覚えはないのだが」
「わたしのバッグに入っていたものを片っ端から売ったの。インクをつける必要のない色とりどりのペンと、消すことのできるペン。珍しいのか結構いい値段で売れたわ」
――この子は…なんと大胆不敵なのだ。祖国を離れた遠い異国の地で一人で出歩いたこともないのに…私のためにそこまで…。
 そんなに高いものじゃないんだけど、とアヤは苦笑いをした。ファントムは胸がいっぱいになった。人からプレゼントをもらったこともなければ、こんなに暖かな気持ちになったこともない。ましてや自分のためにそこまでしてくれたアヤの気持ちが嬉しかった。
「ありがとう…ありがとう、アヤ…」
 ファントムはソファから立つとアヤの前へと歩み寄った。
「すまない、…抱きしめさせてもらえないだろうか…」
 アヤは驚いたようだったが、少し笑ってソファから立った。
 アヤの小さな体をそっと抱きしめる。華奢で、少し力を強めれば壊れてしまいそうな体。まだ出会ってからそう月日も経っていないのに、ファントムはアヤのことが愛しくて堪らなくなっていた。
「さっきは嬉しかったのに驚いてあんなこと言っちゃったの。ごめんなさい…。すごく、嬉しかった。ありがとう」
 ファントムはそのままソファへと座り込んだ。膝にアヤを乗せる形になっている。自分の胸にアヤを抱き寄せても、アヤはおとなしかった。
 暖炉で薪が燃える音と自分の心臓の音。鼓動は間違いなくアヤの耳にも届いているだろう。
「ねぇ、ファントム。何かコロンでもつけてるの?」
「いや、つけていないが…。何故そのようなことを聞くのだね?」
「ファントムっていい匂いがする。コロンじゃないならきっと、ファントムの匂いなんだね…」
 ファントムは何も言えなくなって、ただ暖炉の炎を見つめていた。しばらくするとアヤが急に重くなった。ファントムが腕の中の少女を見てみると、アヤは小さな寝息を立てていた。
 ファントムはアヤを抱きかかえ、アヤの部屋まで運んだ。服を緩め布団をかける。
「お休み、アヤ…」
 ファントムはアヤの頬にキスを一つ落とすと、そっと部屋を出て行った。