明日はクリスマスイブである。地下帝国の朝は冷え込みが激しい。暖炉が無ければ凍ってしまうだろう。館の主であるファントムは、リビングの暖炉に薪を放り込んだ。炭が砕け火の粉が舞う。薪はすぐに燃え始めパチパチと音を立てはじめた。
「…おはよう」
 リビングのドアが開き、小柄な少女が眠そうに目を擦りながら入ってきた。
「今朝は早いな。珍しいこともあるものだ」
「わたしだってたまには早起きぐらいするよ」
 少女は暖炉のそばへ来ると、炎に手をかざす。炎の揺らめきが少女の黒い髪を照らしだした。
「朝食は何をお望みかね? マドモワゼル」
「…パンと苺ジャム。あとは蜂蜜入りホットミルク」
 ファントムは微笑むとキッチンへと向かった。


「ごちそうさま」
 アヤが一息つく。皿の上にあったパンはきれいに無くなっていた。
「さて今日は忙しくなるぞ。明日の準備をしなくては」
「何をするの?」
「まずは料理からだ。これが一番手間取るし、なにより重要だからね。材料はすべて揃っている」
「じゃあお手伝いしないとね」
「いや、アヤはケーキに専念しておくれ。私は旨い料理を作るから、アヤは旨いケーキを作って欲しい」
「わかった」
「ただしまだオーブンは難しいから焼く段階になったら私を呼ぶこと」
「了解です、先生」
 アヤはおどけて敬礼をした。結局オーブンの扱いはアヤには難しすぎたようだった。
 二人は料理を作り始めた。ファントムは羊の肉をたれに浸し、テリーヌのための裏ごしをしている。アヤはふるいにかけた小麦粉と砂糖をボールに入れ、卵とバターを入れて混ぜていた。
「ケーキの材料はこれでよかったかね?」
「もちろん! 十分すぎるくらい。こんなにフルーツがあったら何のケーキにしようか迷っちゃう」
 現にアヤは、何のフルーツを使ったケーキにするか考えあぐねているようだった。
「私は何でもかまわないよ。おまえのケーキを食べたことは無いが今見る限りは悪くなさそうだ」
「まだ生地じゃない! ひどい!」
 二人は笑いあった。
「ファントム、それってまさか…」
 アヤがファントムの手にしているものを、信じたくないといった表情で尋ねた。
「ああ、エスカルゴだが?」
「…そういえばフランスはカタツムリ食べるんだった…不覚…」
「エスカルゴは嫌いかね?」
「日本では食べる習慣が無いの。もっとも、日本では一般的だけどフランス人には信じられないような食材だってあるけどね」
「ほう、興味深いな。なんという食材だね?」
「タコ」
「タコだって!? あんな悪魔を日本人は食べるのか!」
 ファントムは心底驚いたように、アヤに尋ねた。
「生でも食べるし調理しても食べるよ。日本人は大抵の魚は生でも食べる」
「…日本人とは変わった民族なのだな。私には信じられないよ」
「そのまま食べるんじゃなくて、醤油…大豆でできた塩味のソースをつけて食べるの。薬味としてわさびっていう辛くて鼻にツンとくる植物を摩り下ろした物を入れたりもする」
「日本の食文化はわれわれとは全く違うのだな」
「そうね、日本の料理の基本は醤油だからね。醤油さえあれば日本料理をご馳走できるのに」
 アヤは残念そうに笑った。


 昼をとっくに過ぎてしまっても調理は終わらなかった。ファントムは七面鳥の丸焼きに取り掛かり、アヤはケーキ型にあわせてパラフィン紙をくりぬくのに悪戦苦闘していた。
「本当にすごいご馳走だね。二人で食べきれるかな」
「なに、時間はたっぷりとあるしここは寒い。腐ることも無いだろう」
「やっぱりファントムって料理がうまいのね。前から思ってたんだけど」
「料理も芸術も根底は同じだよ、アヤ。建築のように設計された味付けと、絵画のように皿に飾りつけられる料理。どちらも変わりは無い」
「…わたしにはお菓子だけで手一杯だな」
 パラフィン紙を前に、アヤが溜息をついた。型にパラフィン紙がはめ込まれ、生地が流しいれられる。うす黄色のそれは、もったりとした質感で型の中に納まっていた。
「ファントム、生地の用意ができたよ」
「ああ、今行くよ」
 ファントムはアヤから型を受け取ると、熱しておいたオーブンの蓋を開ける。熱気が一気に室内へと躍り出た。天板の上に型を置き蓋を閉める。後は焼き上がりを待つだけだった。
「今度こそ一人で焼いてみせるよ」
「無理はするな。蓋は重いし熱い。お前では怪我をしてしまう」
「あ、そんなに頼りない?」
「もちろんだ。こんな折れてしまいそうな腕では頼れといわれても無理だ」
 ファントムはアヤの腕をつかんだ。少し力を強めたら簡単に折れてしまいそうな手首。女性とはこんなに華奢なものなのか、とファントムはいつも思う。
「それは骨格の問題でどうしようもない話じゃない」
 ぷぅっとアヤがむくれる。ファントムはクスクス笑いながらアヤの頭を撫でた。
 ケーキが焼きあがるころ、他の料理の下ごしらえも終わりかけていた。テリーヌは型に入れられ七面鳥は腹にハーブを入れられている。後は明日料理するだけになっていた。
「ほんと手際がいいんだね。少しは見習おうかな」
 ファントムの手元をずっと見ていたアヤが言う。
「お前もお菓子作りに関してはなかなかのものではないか。…ほら、焼きあがったぞ」
 ファントムはオーブンの蓋を開け、ケーキを取り出した。甘い匂いがキッチンに広がる。ケーキは型からほんの少し盛り上がり、狐色になっていた。
「うん、いい感じ! じゃあ、作っちゃうね」
 アヤはケーキの粗熱を取る間に、チョコレートを湯煎して溶かすとそこに生クリームを混ぜた。粗熱の取れたケーキを真ん中から上下に切り、スライスしたベリーを挿む。ケーキ全体にブランデーを塗ると、その上からチョコレートをかけ始めた。
「よし、チョコレートケーキのできあがり!」
 チョコレートでコーティングされたケーキを、アヤは満足げに見つめた。
「このまま冷やしておけばチョコは固まるから。触っちゃダメだよ?」
「わかったわかった。明日の味見を楽しみにしているよ」
 ファントムはアヤに微笑むと、昼食を取り忘れたため早めの夕食にすることにした。材料の残り物だが、それなりの量はある。
「あまり物でこれだったら明日はどれだけでるんだろ。コルセット締まらなくなっちゃう」
 アヤが笑いながら言った。
「大丈夫。もし余ったとしても時間はあるのだから無理をせず片付けていけばいい。クリスマスはそうゆうものだ」
「ふぅん、日本の新年と似てるのね」
「日本では新年がこうなのかね?」
「そう。おせちって言ってね、1月3日ぐらいまで作らなくていいように12月31日あたりに作るの。それもやっぱりなかなか片付かないんだよね。3日には違うものが食べたくなってくるというか」
「どこの国も似たようなものなのだな」
 ファントムは異国の文化に関心を持った。全く違う国のものなのに、共通の意識があるというのは興味深い。アヤから日本の事を聞くのは面白かったが、里心がつかないようにあまり聞くのは差し控えていた。


 食後、ファントムは今でソファに座りながらウィスキーをあおり、暖炉の炎を見つめていた。リビングのドアが開く。風呂上りのアヤだった。
「シャワーお先に使わせてもらったよ」
「ああ、湯冷めしないように気をつけなさい」
 アヤはファントムに近づき、彼の横に座った。石鹸の香りがファントムの鼻腔をくすぐる。
「ねぇ、何かお話をしてくれない?明日が楽しみで眠れそうにないの」
 アヤはファントムの目をじっと見つめながら言った。アヤの黒い瞳に暖炉の炎が移りこみ、時々金色に揺らめく。ファントムは話し始めた。フランスやイギリスの昔話に、ペルシャやインドの王様の話。アヤは興味深げに話を聞いていた。
「…本当に見てきたみたいに話すのね。まるで400年前から生きてるみたい」
「もちろんだ。全部見てきた話だからね」
「…ひょっとして、あなたがサンジェルマン伯爵?」
「そうだ、私がサンジェルマンだ」
 嘘ばっかり、とアヤが笑う。
「もう夜も遅い。これぐらいにして寝なさい」
「わかった。また明日ね、おやすみなさい」
 アヤが部屋を出て行くと、ファントムはウィスキーをあおった。明日は、クリスマスイブである。